東京・江戸川区のイクタツは、国内に約200を数える米穀卸売業者のなかでも中堅規模にあたる。大手だろうが零細だろうが、他社に真似の出来ない特徴が備わっているが故、同社の存在はひときわ異彩を放つ。
「当社はもともと米の扱いからスタートしているわけだが、米単体というわけでもない」と語るのは、社長の榎本敏章氏。売上げで言うと、だいたい5割弱が米だが、酒類3割、炊飯2割、数%ながらその他食品も扱っている。さらに「それぞれにかかわる話だが、物流機能も備えている。こうした複合的な事業展開が当社の強みだと思っている」。
単体商品として販売しているのは炊飯部門のみで、米、酒、物流は複合的な販売を展開している。「ただモノを売るのではなく、つまり値段だけでなく、同じ提案営業をするなら複合的に、お客さんの困っている部分をどう取り込んでいくか。このあたりをいかに強化していくかが、将来的なカギを握っている」。
先々代・榎本辰次郎氏が「生田米穀店」を開業したのは実に1920年(大正9年)のこと。戦中、統制経済のなか休業していたが、戦後の民営移行と同時に再開したのは先代・榎本安治氏だ。以降、1952年(昭和27年)に麦類、小麦粉等卸売業を開始(現在は日清製粉の特約店)、1969年(昭和44年)に酒類販売免許を取得しての酒類販売業進出(現在はアサヒビールの特約店)と、業容というより事業領域の幅を拡げてきた。
もちろん本来の本業である米穀も、例えば1962年(昭和37)年に食糧庁(当時)モデル第1号の指定を受けた、都内初の大型精米工場を建設するなど、常に先頭に立って業界を牽引する役割を担ってきた。
こうした躍進には、ひとつの傾向がある。「そもそも外食へ刺さっていくことが、以前は大きな強みだった」と語るのが、現社長・敏章氏。だが――「当社の場合、外食へのアプローチで急成長を遂げた時期があったのも事実だ。その当時からすれば、外食がここまで落ち込むことなど想像すらできなかった」。
前年度、経常利益段階で赤字となってしまった最大の要因がここにある。「特に昨年9月以降は異常なほどの落ち込みをみせた。明らかにリーマンショック以降のことだ」。
「もはや過去の成功体験にだけ、すがっているわけにいかない」と榎本社長。今後の"武器"は、多様な取引先との多様なつきあいだ。「『今回はお客さんに助けてもらえ』と社内では言っている。その際の強みになるのが、当社の商品の多様性だ。あえて言えば、米屋で酒をやっている社はないし、酒屋でここまで米をやっている社もあるまい。そこをアピールしていくのが当社の基本姿勢だ」。
榎本社長、「今期に入ってまだ2か月だが、効果はすでに現れ始めてきている。黒字復帰は、さして難しい目標ではないと考えている」と、自信を覗かせた。(6/18)
榎本敏章(えのもと・としあき)
1945年生まれ。慶大経済卒。5年間トーメンでの「武者修行」を経て74年イクタツ入社。81年専務、84年副社長、90年から現職。歌とゴルフの得手は業界でも有名で、ともにプロ級。歌の場合はプロ級というよりプロと言っていい。CDを出したことがある。お茶目さ加減もつとに有名で、今回の取材で恐縮ながら自ら運転する車に乗せていただき、降車する際こう言われた。「710円いただきます」。


