【新春インタビュー】全米販・木村良理事長

–需給を振り返って所感を。
木村 24年産の需給は、東日本大震災があった平成23年に端を発しています。22年産は前年産の持越在庫の影響で、過剰在庫の中でスタートしました。そのため、23年1月に政府買入で10万t、米穀機構による販売環境整備米の買取で17万tの隔離が行われたものの、東日本大震災によって効果が一変してしまいました。さらに地震の混乱に輪をかけたのが原発事故で、被害がどこまで広がっているかわからない状況で、福島産の出荷が当分できないということになりました。そこから、「国産米がなくなる」という感じが強まり、流通業者が自ら買いに走るという動きがあり、米の値段は高くなっていきました。24年に入り、さらに高まってくると、出荷組織側の契約不履行が発生しました。やがて24年産が余り始め、25年産が出始めて間もなく、価格が下がる兆候が出てきました。しかし、出荷組織は市場価格を無視し、相対価格をほぼ変えずに走りました。このため相対価格と市場価格が大きく乖離し、24年産において、販売業者が抱えた在庫が大幅な差損を出す結果になりました。端を発したのは大震災からでしたが、結果として対処が後手後手に回ったと思います。また25年度には、国産米価格の高騰を嫌って、sBs玉を積極的に使う動きが出てきました。特に外食チェーンでは、ビジネスモデルに組み込まれていたと言っていいと思います。流通としてもsBsの調達を積極化し、外食での使用を促進しました。それで25年産では、卸は必死に調達した国産米在庫が掃けず、大きな差損を抱えて終了しました。25年産米の市場価格を無視した価格設定により、国産米の消費減を招きました。次いで26年産に突入しましたが、ほぼ26年いっぱい、25年産の高値の在庫整理に追われ、24年産から25年産にかけて、卸としては厳しい年を経ることになりました。

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