「カルピス」はなぜ長嶋茂雄をCMタレント第一号に起用したのか 1962年2月25日:国民的英雄と国民的乳酸菌飲料が出会った日【食品産業あの日あの時】

「カルピス」昭和39年のポスター
「カルピス」昭和39年のポスター

「長嶋茂雄さんご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。かつて当社の『カルピス』『アミールS』CMにご出演いただき、ブランドにかけがえのない価値を与えてくださいました。深い悲しみとともに、これまでの偉大なる功績に改めて敬意を表します。」

アサヒ飲料は公式X(旧Twitter)を更新し、6月3日に89歳で逝去した長嶋茂雄さん(読売巨人軍終身名誉監督)を悼んだ。長嶋さんは現役時代を通じて「カルピス」(当時の発売元はカルピス食品工業株式会社)の広告に出演した。あらためて国民的英雄と、国民的乳酸菌飲料の歩みをふりかえりたい。

「カルピス」の生みの親である三島海雲が、内モンゴルで遊牧民たちが飲んでいた酸乳に着想を得て「カルピス」を発売したのが1919年。アイデアマンとして知られた三島は日本初の乳酸菌飲料の価値を伝えるため、生涯にわたって広告宣伝にも工夫を凝らした。戦後、高度成長期を迎え飲料の需要も飛躍的に高まる中、1959年には早くもテレビでの広告宣伝活動を開始。三島はこのころ「カルピス」の魅力を発信する新たな手段を模索していた。

背景には貿易自由化の波があった。それまで日本政府は国内産業保護のため、コーラ飲料の製造に必要な原液の輸入や販売条件、価格などに事実上の制限を設けていた。だが「もはや戦後ではない。」(『経済白書』昭和31年/1956年)以上、企業にも競争にさらされる覚悟が求められていた。1960年には当時の農林省がコーラ飲料の販売自由化にゴーサインを出し、それまで禁止されていたコカ・コーラ、ペプシコーラなど外資企業による広告宣伝も解禁される見通しとなった。

1953年当時の「カルピス」
1953年当時の「カルピス」

乳白色の“初恋の味”は、アメリカからやってくる刺激的な“黒船”にどう立ち向かうのか。三島が白羽の矢を立てたのが、前年に三年連続の首位打者、二度目の本塁打王、初のセリーグMVPを獲得した“ナガシマ”だった。すでに国民的ヒーローだった長嶋さんとの出演交渉には、当時84歳だった三島自らが乗り出したという。

「長嶋茂雄の明朗で健康的なイメージは『カルピス』のイメージにも通じ、広告にタレントを起用した第一号となった」(アサヒ飲料・ブランド史)。かくして1962年2月25日の新聞紙面に長嶋さんを起用した「カルピス ファミリープレゼント」の広告が掲載された。応募者には抽選で長嶋さんのサインがプリントされた特製ハンカチなどがプレゼントされた。

同年4月1日、税法改正により清涼飲料への課税が大幅に引き下げられ、商戦の火ぶたが切って落とされた。乳酸菌飲料は免税となったため「カルピス」も同日より大瓶を値下げし、長嶋さんの広告で全国的な認知を拡大するとともに、相模工場を新設する(1961年)など量産体制を整えた。

対するコカ・コーラは若者にターゲットを定め、米国流のモダンなライフスタイルを訴求するCMを開始。「コッカコーラを飲もうよ♪」のCMソングは流行となった。同時期に発売された大正製薬「リポビタンD」のCMキャラクター第一号(1961年)に起用されたのは、長嶋さんと同じ読売巨人軍の選手で、甘いマスクと筋骨隆々の肉体で女性にも高い人気を博したハワイ出身のエンディ宮本(宮本敏雄)さん。宮本さんが国鉄(現・ヤクルトスワローズ)に移籍した1963年から大役を引き継いだのは、同年に一本足打法で開眼した王貞治さんだった。

余談だが同時期、日本ペプシコの社長には大阪タイガースで選手、監督として活躍し、実業家としても名を成した、こちらもハワイ出身の若林忠志さんが就任していた。発展期のプロ野球は多士済々、成長が見込まれた清涼飲料業界にも多くの投資が集まっていた。

長嶋さんはその後もカルピス社の広告宣伝に積極的に協力し続けた。1966年には亜希子夫人、そしてこの年の1月に誕生したばかりの長男、一茂ちゃん(タレントの長嶋一茂さん)とともに一家でカルピスの新聞広告に登場した。1967年の新聞広告にも「ぼくは一年じゅう水がわりにカルピスを飲んでいる。カルピスだと、いくら飲んでも腹をこわさないから不思議だ。それに第一うまい! 今や、水がわりのカルピスは選手仲間の常識になっている。」とコメントを寄せている。

1974年10月14日、長嶋さんは後楽園球場での伝説的なスピーチを最後に引退。それを見届けるかのように同年12月28日、三島も96歳でその生涯を閉じた。後年、三島の孫にあたる寺田篤氏は「長嶋さんは本当に義理堅かった。晩年、入院中の祖父のお見舞いにもきていましたし、亡くなってからも年に数度は必ずお焼香にきていました。長嶋さんは本当に立派な人だなと感心しました。そして思ったんです。祖父は国民的な大スターに慕われていたんだなと」と回想している(『カルピスをつくった男 三島海雲』山川徹・著)。

ところで“小さな巨人”と言えば大塚製薬の「オロナミンC」だが、同社が読売巨人軍のスポンサーを始めたのは1976年から。柴田勲さん、堀内恒夫さん、高田繁さんといった当時のスターたちとともに長嶋さんも監督として「オロナミンC」のCMや広告に登場したが、単独出演は無かった。

長嶋さんが次に飲料のCMに出演したのは第二次監督時代の1999年。「カルピス酸乳 アミールS」(~2003年まで)は、カルピス社が30年以上の研究を経て酸乳に含まれるラクトトリペプチドの健康効果を証明した特定保健用食品(トクホ)だった。長嶋さんほどの知名度があれば浪人期間にもオファーは引きも切らなかったはずだが、三島への忠義を果たし、他の飲料企業のCMに出演することはなかった。

生涯にわたって「国利民福」(国の利益と人々の利益)を追求した独創的な企業家と、「ファンあってのプロ野球」の姿勢を貫いたプロ野球のスーパースター。祖父と孫ほどに年の離れた二人だったが、その理念はどこかで通底していたのかもしれない。

【岸田林(きしだ・りん)】

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