鈴木憲和氏、農林水産省大臣に就任「農は国の本なり」

自民党の鈴木憲和衆院議員が22日、新内閣の農林水産大臣に就任した。初入閣となる。鈴木氏は、農林水産副大臣や復興副大臣を歴任してきた。
鈴木農水大臣は就任会見で、農政への思いと、米需要の拡大について「農は国の本なり」、「日本の米は品質という点で海外マーケットでのチャンスがある」と自らの考えを述べた。
鈴木大臣は冒頭の挨拶で次のように話した。
「不安定な(国際)状況の中で、農林水産省の使命は日本の食料安全保障の確立をしていくということ、そして国民に食料を安定的に供給するということ、何よりも生産現場の皆さんに先を見通せる希望をもたらすということに尽きている。“農は国の本(もと)なり”この言葉を私自身、胸に刻みながら、農林水産省の全国にいる2万人の職員と、なるべく多く現場に伺って現場を第一に、現場の皆さんの感覚を持って、農林水産行政にあたっていきたい。
私が入省した20年前、研修でお世話になった福島県の須賀川市に須田さんという生産者の方がいた。彼から言われた言葉が私は心に刺さった。“日本の農政はコロコロコロコロ変わる。猫の目農政だ。生産者は農林水産省と逆のことをやると蔵が建つとこの辺では言うんだよ”この言葉が私にとっての政治を志す原点となった。私は生産現場から見て、先の見える農政を実現したい。
令和9年度以降の水田政策の見直しを進めているが、米作りというのは、1年で1回しか収穫ができない。コロコロコロコロ方針が変わっては、生産現場の皆さんは対応することができない。需要に応じた生産、これが何よりも原則であり、基本であるというふうに考えている。その上で、安心して先の見通せる農政を実現していく。
中山間地域、条件不利な地域、全国の耕地面積の437万haのうち約4割を占めている。そうした地域であっても営農して稼いで暮らしていける農政を展開していきたい。また、日本の産業全体の技術の粋が詰まったのが、新たなテクノロジーの食料の生産現場だというふうに考えている。これらの技術が日本の稼ぐ力を高め、世界のスタンダードとなっていく。そんな食の未来を作っていきたいというふうに考えている。農と食の分野で必ず守り抜かなければならない、先ほどの中山間地域のような守るべき分野と攻めるべき分野を明確にした戦略を策定する。そして、輸出を始めとした世界における日本の食のマーケットを作ることで、結果として、農業の生産基盤を維持し、日本の国力の底上げと食料自給率の向上、食料安全保障の確保、これに繋げていきたい」
〈高市総理から5つの指示、米価の安定についてもコメント〉
今回農水大臣に就任するにあたり、高市総理から5つの指示を受けたという。
〈1〉完全閉鎖型植物工場や陸上養殖施設等を展開し、また、米の安定供給を推進すること。
〈2〉農業構造転換集中対策期間に集中投資を実施すること。
〈3〉2030年に現在1.5兆円の輸出を5兆円にすること。
〈4〉人口急減地域への支援を強化すること。
〈5〉水産物の輸入停止への対応に万全を期すること。
会見で何度も話題に上がったのが米価の安定と備蓄米の扱いだった。米価に関しては「私の立場で、価格が高いとか安いとかは言わない。価格はマーケットの中で決まるべきもの」と断言したが、同時に現状で高いと感じて購入できない国民がいるということには理解を示した。
鈴木大臣が再三繰り返したのは「基本的には需要に応じた生産、これが原理原則」という言葉で、備蓄米に関しても、米価のコントロールのためではなく、全体の量を見て放出するかどうかを決める、というぶれない姿勢を強く示した。一方で「何よりも大事なのは、供給力がある米だから供給不足じゃないかという事態を、もう今後金輪際、自然の影響を除いて、需要を見誤るみたいな状況で、もしくはマーケットからのシグナルを受け取る感覚が正直鈍くて、機動的な備蓄の放出ができなかった、こういう事態はもう二度としない決意だ」と当時の副大臣として備蓄米放出の対応が遅れたことを強く悔いる発言があった。
米価高騰対策として、短期的な方法ではお米券やお米クーポンなど具体的な対応が挙げられた。また需給見通しにより心配される米余りについては、海外マーケットへの輸出を視野に入れるということを「アメリカを初め、海外では当たり前のようにおにぎりが食べられる状況になった。刺身を乗せた丼も多くのスーパーマーケットで、大きな都市であれば必ず売られている状況になってきている。そうしたときに品質を保つことを考えれば、日本産米に優位性がある」「海外マーケットでのチャンスがある」と実際の体験談を交えながら考えを述べた。

[略歴]鈴木憲和(すずき・のりかず)1982年1月30日生まれ、43歳。東京都出身、05年東京大学法学部卒業、農林水産省入省(12年退職)、12年衆議院議員当選(14・17・21・24年当選)、18年外務大臣政務官、23年農林水産副大臣、24年復興副大臣などを歴任。
〈米麦日報 2025年10月23日付〉