“スタバでドヤ顔”はいつ生まれたのか――日本上陸が変えたカフェ文化、1995年10月26日スターバックスコーヒージャパン設立【食品産業あの日あの時】
「コラコラ、一生懸命も、休み休みにしてよね。ジョージアで、ひと休み。」
女優の飯島直子さんが出演し人気を博した、1994年放映の缶コーヒー「ジョージア」(日本コカ・コーラ)のCMだ。深夜のオフィスにひとり取り残され、デスクトップパソコンで資料作りにいそしむ男性ビジネスマンに、飯島さんが甘い声でささやきかける。社内に設置された自販機の前で「ジョージア」を片手に一息つく男性と、CMのキャッチコピー「ああ、男の安らぎ。」に、この時代の日本におけるコーヒーの位置づけが象徴されている。
年が明けた翌1995年、日本では阪神大震災、オウム事件など、社会構造の転換を迫られる出来事が相次いだ。日本の飲食風景を大きく変えたスターバックスコーヒージャパン株式会社が設立されたのは、この年の秋(10月26日)のことだった。翌1996年8月2日、同社は東京・銀座に日本1号店をオープン。缶コーヒーと喫茶店に馴染んでいた多くの日本人にとって、ペーパーカップやタンブラーで街を歩くスタイルや、家でも職場でもない“サードプレイス”といったコンセプトは極めて新鮮に映った。
以降同社はマス広告に頼らない独自のコミュニケーション戦略で少しずつ支持を広げ、“スタバ”は2000年3月末には国内117店舗を展開するまでに急成長。このトレンドに乗り、1997年には「タリーズコーヒー」が、1999年には「シアトルズベストコーヒー」といったシアトル系のカフェチェーンが日本に上陸した。
既存のプレーヤーも手をこまねいているだけでなく、喫茶室ルノアールを運営する銀座ルノアールは新業態として東京・銀座に「ニューヨーカーズカフェ」(1997年)を、ハンバーガーチェーン大手の日本マクドナルドはカフェメニューやスイーツを充実させた「マックカフェ」一号店を東京・恵比寿に開店した。
“セカンドウェーブ”と呼ばれるカフェブームの到来だ。五感でコーヒーを楽しみながらくつろげるカフェの増加とともに、新聞や雑誌を読みながら、タバコ片手にコーヒーをすすることのできる喫茶店は急速に減少していった。
スターバックスコーヒージャパン設立の1か月後にはもう一つ、日本の社会に大きな変化をもたらす出来事が起こっている。米マイクロソフト社のOS、Windows 95の発売(日本での発売は1995年11月23日)だ。パソコンはこの日を境に一般家庭にも一気に普及し始めた。
同年に富士通が発売したWindowsパソコンのCMに起用されたのは、“違いの分かる男”こと俳優の高倉健さん。リビングの食卓に設置されたデスクトップパソコンを慣れない手つきで操作しながら「かんたんじゃねえか…」と呟く高倉さんに、多くの中高年が背中を押された。同年6月に京都にオープンした日本初のネットカフェ「ネットサーフ」の利用料金は、インターネット使い放題、コーヒー・紅茶飲み放題で1時間800円だった(「京都新聞」2019年1月5日)。
余談だが、米スターバックスを国際的な企業に押し上げた元CEOハワード・シュルツ氏を企業法務や資金調達の側面で支援したのは、ビル・ゲイツ氏の父親で、シアトルで敏腕弁護士として知られたゲイツ・シニア氏だという。奇しくも同じワシントン州で産声を上げた2つのトレンドが、太平洋を隔てた日本にほぼ同時に押し寄せ、人々の労働や休息に対する概念を大きく変えたことは象徴的だ。
ところでここまで、現在のカフェの風景に欠かせないノートパソコンやスマートフォンが登場していないことにお気づきだろうか。このころアップルコンピュータ(現・アップル)は経営危機の真っただ中にあり、1997年にはマイクロソフトから1億5000万ドルの出資を受けるに至っていた。
カフェの風景が変わったのは2008年、アップルが超薄型のノート型コンピュータ「MacBook Air」を発表して以降のことだ。同年には日本で初めてiPhone(iPhone 3G)も正式に発売され、同社の経営に復帰していたスティーブ・ジョブズ氏のカリスマ性にも注目が集まった。“未来のジョブズ”を目指す若手起業家にとってスタバは、コーヒーの香りと適度なざわめきの中で、集中してアイデアを練ることのできる最適な創造・創作の場となった。前述の日本初のネットカフェ「ネットサーフ」は最盛期の2000年ごろには3万8千人の会員を集めていたが、この2008年に閉店している。
“サードプレイス”から、“ワークプレイス”へ。パンデミックを経て、カフェは再びその意味を変えつつある。公共の場所のオンライン会議を快く思わない人々も少なくなく、憧れの対象だったMacBookは時に「ドヤる」と揶揄されるようにもなった。上陸から30年となる今年2月、日本国内におけるスタバの店舗数は2,000を超えた。これからも私たちの働き方は革新的なテクノロジーとともに変わっていくはずだが、コーヒーは常にその傍らに寄り添い続けるだろう。
【岸田林(きしだ・りん)】







