マルコメ「三代目 青木佐太郎 お別れの会」/青木社長「父であると同時に人生の師」
マルコメは11月28日、長野市内のホテルで「三代目 青木佐太郎 お別れの会」を開催した。数百人が出席し、10月28日に老衰のため享年102歳で死去した青木マルコメ会長を偲んだ。お別れの言葉は、全国味噌工業協同組合連合会(全味)の満田盛護会長と長野県味噌工業協同組合連合会の青木幸彦理事長が述べ、高市早苗総理をはじめ、多くの人から届いた弔電が紹介された。喪主あいさつは青木時男マルコメ社長が述べた。献花が行われた後、展示コーナーでは、生涯年表とともに、思い出のアルバムとして写真やエピソードが紹介された。
喪主のあいさつで青木時男社長は、「父は本当にみそのことが大好きだった。実にさまざまなことに挑戦した。文字通り会社もけん引した。私にとっては父であると同時に人生の師であり、仕事の師匠でもあった。在りし日の父の姿を皆さんに偲んでもらいたく、今回のお別れの会を催した。ぜひ昔の話に花を咲かせ、楽しく愉快に歓談してもらいたい。父もきっと喜ぶと思う。父は大勢の皆さんのご支援、ご厚情をたまわり、己の道を貫き、ご縁にめぐまれ、信じる道を歩み続けた。厚くお礼申し上げる。残された私たちにも父同様に、ご指導ご鞭撻いただけると幸いだ」とあいさつした。
お別れの言葉として満田盛護会長は、「約80年にわたり、みそ一筋で歩んでこられた。段ボール出荷やピロー包装機の開発、だし入りみその開発など、業界初の偉業を数多く成し遂げられ、業界の礎を築いた。常に次の一歩を追求し続け、新しいものを恐れず、楽しみ、挑戦し続ける姿勢は、大きな勇気を与えてくれた」と称えた。
全味においては1973年に理事に就任し、「原料大豆の調達危機の際にも、組合の意見をまとめ、行政当局や輸入商社に働きかけ、業界の危機を救ってくれた。常に業界全体を見渡し、その未来を思い描きながら、惜しみなく力を注いでくれたことに深い敬意を表する」とした。
続いてお別れの言葉を述べた青木幸彦理事長は、「抜群の経営手腕を発揮され、トップメーカーとして私たちを力強く導いてくれた。業界に先駆けて発売しただし入りみそやインスタント生みその開発など、みその新規需要を獲得し、みその市場の活性化に大きく貢献された。平成7年にはみその全工程を完全オートメーション化した工場を完成させ、伝統産業から一歩踏み出した総合食品メーカーとしての礎を築いた」と功績を振り返った。
長野県味噌工業協同組合連合会の関連では、1957年に理事に就任し、常務理事、副理事長を歴任し、75年には理事長に就任した。
〈78年に数量で全国シェア1位を達成、みそ組合の要職を歴任し信州みその地位向上にも〉

青木佐太郎氏は1923年11月20日に長野市安茂里に出生した。日本大学卒業後に青木味噌醤油を設立し、常務取締役に就任した。64年社長に就任するとともに、三代目佐太郎を襲名した。以降、卓越した先見性で業界の革新を主導してきた。段ボール出荷やピロー包装、エバール樹脂カップなどの採用で流通革命を先導した。消費者からの苦情をヒントに「料亭の味」を開発し、78年に数量で全国シェア1位を達成した。みそ関連組合の要職を歴任し、信州みその地位向上にも多大な功績を残した。86年5月には藍綬褒章を、96年11月に勲四等瑞宝章を受賞した。
思い出のアルバムでは、61年に現上皇夫妻の皇太子殿下・同妃殿下が同社の工場を視察した際に、自ら案内役を務めた様子などが紹介された。生涯年表では数々の功績が紹介された。64年にはテレビCMを開始し、「マルコメくん」を生み出した。82年、技術的には無謀と言われただし入りみその開発に取り組み、「料亭の味」は国民的ヒット商品となった。
〈大豆油糧日報2025年12月1日付〉







