『スーパーマリオ』40周年、1986年のファミコンブームがもたらしたもの【食品産業あの日あの時】
1986年(昭和61年)12月1日。東京會舘で行われた「新語・流行語大賞」の表彰式会場には雁屋哲さん(『美味しんぼ』原作者)、渡辺久信さん、工藤公康さん、清原和博さん(ともに当時西武ライオンズ)、土井たか子さん(当時日本社会党中央執行委員長)、おニャン子クラブらとともに、任天堂の山内溥社長(当時)の姿があった。「ファミコン」はこの年の新語部門・銅賞を受賞。
テレビゲームが子ども向け玩具の枠を超え、政治やプロ野球、アイドルなどと同列に語られる存在となった象徴的な瞬間だった。この1986年12月は、のちにバブルと呼ばれる景気上昇が始まった月でもある(~1991年2月頃まで)。
1983年7月15日に1万4,800円で発売された「ファミリーコンピュータ」は、発売当初こそ静かなスタートだったものの、1985年9月13日に発売された『スーパーマリオブラザーズ』のヒットによって普及が加速した。本体販売台数は1983年44万台、1984年の165万台を経て、1985年には374万台へ急増し、1986年にはさらに390万台を販売した。翌1987年には累計1,000万台を突破。“一家に一台”の娯楽の王様として君臨することになる。
これほどの巨大な熱狂を、食品産業が見逃すはずがない。菓子、即席麺、冷菓などあらゆるジャンルの食品メーカーが、ファミコンとのタイアップによるキャンペーン合戦を繰り広げた。
いち早く動いたロッテは1986年、パッケージにスーパーマリオなどのキャラクターをあしらった「ファミコンチョコ」と「ファミコンガム」を発売。点数を集めると最新のディスクシステム用ゲームが当たる懸賞を展開した。対して雪印乳業(現・雪印メグミルク)が発売した「スーパーマリオアイス(ファミコンアイス)」ではパッケージの応募券を送ると最新のカセットやジョイボールなどが当たった。明星食品が発売したミニカップ麺「ミニマリオラーメン」には『スーパーマリオブラザーズ2』の裏技シールがおまけとして添付された。
“16連射”で子どもたちのヒーローとなった高橋名人(高橋利幸さん)も引っ張りだこだった。明治製菓(現・明治)は新作ゲーム『スターソルジャー』とタイアップしたチョコスナック「ハイスコア」を発売。攻略法を記載した「テクニックカード」をおまけとして封入し、CMでは「あの高橋名人が今挑戦。1秒間16個食べ!」と“16連射”にちなんだ演出で訴求した。翌1987年にはカネボウ(現・クラシエ)からアイス「高橋名人の突撃わんぱく城」も発売された。ゲーム会社に勤めるサラリーマンが、他社のCMに出演するというのもすごい話だ。
大塚食品は発売一周年となる中華風カップ麺「アルキメンデス」のテコ入れ策として、コナミのシューティングゲーム『グラディウス』(1986年4月25日発売)とタイアップ。フタのマーク2枚を送ると毎週500名、総計4,000名に『グラディウス アルキメンデス編』が当たるキャンペーンを実施した。ゲーム中のパワーアップカプセルが「アルキメンデス」の形に変更されたレアなカセットは、状態のいいものであれば現在は10万円以上で取引されている。
異色だったのはエスキモー(現・森永乳業)のバニラアイスキャンディー「ゾンビハンター」(1987年)だ。ゲーム雑誌『ハイスコア』の企画から誕生したもので、キャラクター形のグミが入ったアイスを買って応募すると、同名の非売品ゲームが当たるというものだった(のちに一般販売もされた)。
商品のおまけや懸賞にとどまらず、体験型の販促イベントにもファミコンは利用された。不二家フリトレー(現・ジャパンフリトレー)は1986年7月~8月にかけて関東圏内の大型スーパーマーケット16カ所で「チートス・ファミコン大会」を開催している。8月30日に開催された決勝戦の舞台は東京・新宿アルタ。『魔界村』(カプコン)、『スーパーチャイニーズ』(ナムコ)、同年9月発売予定の『スーパーゼビウス ガンプの謎』(同)が競技ソフトとなったが、前出の高橋名人を擁するハドソンの夏の全国ゲームキャラバンと日程が重複したことから、盛り上がりはいまひとつに終わった。
数多のタイアップの中でひときわ大きな成功を収めたのが、「スーパーマリオブラザーズふりかけ」「同 おむすび」(1986年7月発売)だろう。当時ふりかけ市場では丸美屋食品工業が『ドラえもん』『パーマン』『おばけのQ太郎』『ドラゴンボール』などのTVアニメとのタイアップで先行していた。
だが、永谷園は「スーパーマリオブラザーズふりかけ」「同 おむすび」でその牙城を崩し、定番の地位を獲得することに成功。翌1987年2月には「スーパーマリオブラザーズ マリオカレー」も発売し、ラインナップを強化した。この快進撃に危機感を抱いた丸美屋は1988年2月より「ビックリマンふりかけ」「ビックリマンカレー」を投入。前年秋にスタートしたTVアニメ版『ビックリマン』とのタイアップだが、その原点はもちろんロッテの「ビックリマンチョコ」だ。
永谷園と任天堂の強力なタッグは、単なるキャラクターライセンスの枠を超え、やがてゲームソフトの歴史に新たな一歩を刻む。1988年11月30日、ディスクシステムの書き換え専用ソフトとしてリリースされたのが『帰ってきたマリオブラザーズ』だ。
同作はファミコン初期の名作『マリオブラザーズ』のリメイク版だが、特筆すべきはゲーム内に永谷園のCMが流れたこと。「マリオカレー」や「マリオ3ふりかけ」はもちろん、北島三郎さんが登場する「永谷園のお茶づけ海苔」や「五目チャーハンの素」といった商品のCMがファミコンのグラフィックとサウンドで再現された。通常は500円だったディスクシステムの書き換え料金は、広告入りということで100円安い400円に設定された。現在でいう「インゲーム広告」の先駆けである。
現在、スマホアプリにおいて、広告を見ることでアイテムを得たりプレイ料金が免除されたりするビジネスモデルはごく当たり前のものとなっているが、その原型ともいえる手法が、バブル景気の入り口でひっそりと産声を上げていた事実は見逃せない。
新聞、テレビ、ラジオといった既存の一方通行型メディアとは異なる新たなコミュニケーション手法が続々誕生していたこの時代、ファミコンは最も身近な「ニューメディア」だった。自ら操作し画面に没入する「能動的」なメディアの登場により、企業は消費者とより深く、長く時間を共有する方法を手に入れた。現代にまで通じるデジタルでインタラクティブ(双方向)なマーケティングの萌芽が、40年前にあった。
【岸田林(きしだ・りん)】







