――「新政策」(新しい食料・農業・農村政策の方向)が出来た1992年(平成4年)というと、ウルグアイ・ラウンド(現在のWTOの前身であるガットが多国間で行っていた貿易交渉)の真っ最中ですよね。

そう、「国際化」ということも、「新政策」には影響を与えていました。国際農業交渉といっても、その頃までは対アメリカで済んでいました。しかし日本も先進国としてのメリットを享受するようになってきていて、ということは国際的な義務も果たさなければいけなくなってきた。そうしたなかで1986年(昭和61年)に始まったのがウルグアイラウンドでした。つまり国際農業交渉が二国間から多国間にシフトした時期です。言い方を変えると、米の輸入自由化圧力が一段と高まった時期ですね。

すると農林水産省内にも、ウルグアイラウンドもいつかは決着する、国際化はさらに進む、国内の状況をきちんと検証しなおし、新たな方向を打ち出すべきではないか、という機運が出て来ます。それが「新政策」の策定へと繋がっていくわけですが、先ほど申し上げた通り、農地制度は議論の俎上にも上りませんでした。またウルグアイラウンドの真っ最中で、米は「一粒たりとも入れさせない」姿勢だった時期ですから、食管制度にも残念ながら手をつけられなかった経緯があります。

――すると「新政策」は、後の基本法ほどには、抜本的なものになり得なかった?

いやいや、では現在の基本法が抜本的かというと、抜本「的」ではあるんですが……これは後に指摘するとして、「新政策」では残念ながら農地制度も食管制度にも手をつけられませんでしたが、しかし後の基本法のベースにはなり得ました。例えば、後の食料・農業・農村基本法で柱となった4つの基本理念、「食料の安定供給の確保」、「多面的機能の発揮」、「農業の持続的な発展」、「農村の振興」は、いずれも「新政策」をよく読めば内包されていたことが分かります。ですが最も重要で、後の基本法のベースたり得た最大のポイントは、「新政策」に登場する「経営感覚に優れた効率的・安定的な経営体」という文言です。つまり、農業政策に初めて「経営」という概念を持ち込むことに成功したわけです。

農業は人、農地、技術、企画販売、マネジメント力などを創意工夫により発揮し、持続する経営を行う総合知識の集約が必要ですから、農業「経営」を論じようと思ったら、様々なことを総合的に分析せざるを得ません。確かに「新政策」では農地制度や食管制度に踏み込むことはできませんでしたが、「経営」をキーワードに、これを軸とすれば、その中身は全てを網羅している、間接的に農地にも食管にも発信していることになるわけです。だからこそ「新政策」は、後の基本法のベースたり得たわけです。

――食料・農業・農村基本法の制定が1999年(平成11年)ですから、「新政策」から7年も間が開いてしまっています。これは?

制度的にも政治的にも非常に不安定な時期でしたから、一挙に「新たな基本法」とはいかなかったのでしょうね。

「新政策」が1992年(平成4年)で、その翌1993年(平成5年)が大不作です。このとき「いかなる事態でも政府が需給をコントロールする」はずの食管制度が、全く機能しないことが白日の下にさらされました。せっかく1990年(平成2年)に作った「自主流通米価格形成の場」も途中でストップし(本紙「米麦日報」註=平成5年、当時の自主流通米価格形成センターは9月28日をもって入札取引を中止している)、翌1994年(平成6年)には緊急輸入までやっています。その年の暮れ、自民党が一時的に下野していた間に、ウルグアイラウンドが決着し、米では関税化を阻止できたものの、ミニマム・アクセス(最低義務輸入)を受け容れることになりました。実際にガットがWTOに衣替えし、WTOルールが発効したのは翌1995年(平成7年)のことで、この年をもって食管法が廃止されました。この年の夏から秋にかけてウルグアイラウンド対策(6年間で事業費ベース6兆100億円)が打たれるわけですが、米は対象外でした。何故ならウルグアイラウンド対策は、基本的に関税化した品目が対象だったからです。言い方を変えると、この当時、食管法こそ廃止されていましたが、またしても米政策には手をつけられなかったことになります。

食料・農業・農村「基本問題調査会」の開始が1997年(平成9年)で、1999年(平成11年)ようやく食料・農業・農村基本法(新基本法)が成立するのです。この新基本法に基づき、現在の食料・農業・農村政策審議会が設置され、最初の「食料・農業・農村基本計画」が審議されました。私自身は事務次官を務めていました(本紙註=高木勇樹農林水産事務次官の在任期間は1998年7月3日〜2001年1月6日)。ほとんど隙間がないのが分かるでしょう。

――ようやく基本法の入り口に差しかかりました。先般の「農政ジャーナリストの会」では「登頂ルートが明確でないままベースキャンプを設置してしまった」と表現されてましたが。

ベースキャンプではなく「頂上」と表現するべきだったかもしれません。先ほどお話した通り、基本法は4本柱の基本理念からなっています。これが「頂上」です。ということは、その頂上へ至る登頂ルート、基本理念を実現するための具体的な法制度を設けなければいけません。それが「なかった」という意味です。

――それを示すのが「概ね5年ごとに見直す」基本計画だったのではないのですか。

そのはずでしたが、現にそうはなっていません。基本計画でも「登頂ルート」と呼べるまでのものは描けていませんでした。農地制度の議論が起こったのは基本法・基本計画の後です。旧食管法は確かに基本法制定前に廃止されてはいますが、これは機能不全が理由で、未だに基本法の「効率的かつ安定的な経営体」にとって最低限必要な「自らの経営判断による生産環境」が整っているとは到底言えません。経営所得安定対策の議論が起こったのも基本法「後」。基本法が「山頂」を示すことには成功したものの、「登頂ルート」を示すまでには至らなかった、良い証左ではありませんか。

今の基本法が制定された当時、世間から大きな注目を集めた一つに、例の「食料自給率目標」がありました。基本問題調査会などの論議では、カロリーベース食料自給率を目標に掲げることに、抵抗感を示す声があがっていました。曰く、自給率はあくまで結果の数字であるから、それを目標に掲げることは、政治的な利用を誘発しやすい。だから自給率ではなく自給力でいいではないか――だけど、自給力だって分解していけば、自給力を保つためにどれだけ農地が必要で、担い手がどれだけ必要で、技術水準はどの程度で、経営の姿はこうだ、といったことごとに触れざるを得ませんよね。でなければ、自給力いくつをどう担保するのか、弾き出せるはずがないんです。これは自給率であっても同じです。自給率を上げるために、農業構造をどうするかを示さざるを得ない。だから基本計画を打ち出す際に、構造展望などもセットで示したわけです。私が自給率目標を設けることにしたのは、政治的な利用云々を想定してのことではなく、国民・消費者に日本農業の本当の姿を知ってもらうきっかけになればと考えたからです。

今でもそうですが、日本の自給率は先進国のなかであまりにも低い。なぜ低いのかを分析・解説し、引き上げるための目標を示し、その目標を達成するための日本農業の個別項目の目標も同時に示す。消費者側の栄養バランスにも当然言及しますから、「ああ、そうか。カロリー摂り過ぎか」とか「これが肥満につながっているのか」とか考えるきっかけを得られるじゃないですか。そうしたことを、基本法、基本計画とセットで「食料自給率レポート」として出すという仕組みにしたんですが……私が退官して1〜2年もすると、やめてしまうんですね。今でもよく審議会などで、「農業は食料産業と車の両輪で、最終的には国民・消費者にとって大事なものなのだから、よく理解してもらわなければならない」といった発言がされていますよね。言っているだけです。理解してもらうためのツールが必要なのに、取り組んではいない。いや、例えば食事バランスガイドのようなツールがあるにはありますが、あれは一部に過ぎません。トータルで日本農業の実力(供給力)と需要との関係、結果的にそれが日本人のカロリー摂取や食生活のバランスにどのような影響を与えているのかを示すべきではないでしょうか。

――お話を聞いていると、つまり基本法の制定から20年、基本計画は4回も策定され、いま5回目の策定に入っているところですが、まだ登頂ルートを示せていない、トライアングルを崩せていないということですか。

ええ。そう思います。いや、もちろん20年の間に、様々なことがあって、少しずつ改められては来ています。例えば農地制度の場合、「平成の大改革」とか何とか、大きなことがあったかのように喧伝されていますが、改正後の農地法の第1条には、未だ「耕作者主義」を引っ張っている雰囲気が見受けられます。また最近は統計上、耕作放棄地という表現を使わなくなりましたね(本紙註=農林水産省統計部が『耕作放棄地』という表現を用いていたのは2008年度まで。その後『荒廃した耕作放棄地等』を経て2011年度から『荒廃農地』という表現が定着している)。何らかの必要があって定義ごと名称を変えたのでしょうが、まるで「耕作放棄地が増えすぎてしまったから定義を変えて少なくしよう」に見えてしまいます。まぁ、それで政策が良い方向へ向かうなら構いませんが、そんな小手先のことで良い方向へ向かうとは、とても思えません。

基本法が出来た翌2000年(平成12年)の暮れ、松岡利勝さん(故人。後の農相)率いる自民党の農業基本政策小委員会が「新たな農業経営所得安定対策(直接所得補償)」を提言しました。この頃に「経営を単位とする」直接所得補償を提言したわけですから、政治の側も相当な危機意識を抱いていたことが分かります。それはともかく、20年前に構想されたことが、やはり実現していません。様々な変遷を経て、今の収入保険に繋がっていくわけで、私としては「やっとこさ」の思いが強いのですが、どうやら加入率が低いようで、これまた「完成形」とは言い難いものがあります。

食管はさすがに廃止されましたが、米政策だって、先ほど申し上げたように今が完成形ではないでしょう。確かに「いわゆる減反廃止」……という言葉が正しいかどうかはともかく、その2年度目に入りましたが、それで米をめぐる現実の諸問題が全て解決したわけではありません。価格が高止まりしているからいい?本当にそうでしょうか。需要が増えているはずの中食・外食向けには米が足りない。加工用も足りない。最近は飼料用米がやや緩み、主食用米回帰の動きが散見できます。前に指摘したように、日本には経営感覚のある農業者が多いですから、そりゃあ楽して儲かるほうへ作付が向かうのは当たり前です。別に農家を責める筋合いはありません。需要は一向に減り止まらない。一言で言うと、政策と現実とのギャップが開いたままです。食管制度はなくなりましたが、食管制度のような状況下にあまり違いはないのです。

「新政策」、「生産調整に関する研究会」に基づく「米政策改革大綱」、それと、いわゆる石破改革、どうも私が関わった改革は、ことごとく潰される運命にあったかと思うと、忸怩たる思いがありますが、だからといって発信をやめるわけにはいかないでしょう。

【プロフィール】
たかぎ・ゆうき 1943年(昭和18年)群馬県生まれ。東大法卒、1966年(昭和41年)農林省入省。畜産局長、大臣官房長、食糧庁長官などを経て1998年(平成10年)農林水産事務次官。退官後、農林中金総合研究所理事長、農林漁業金融公庫(当時)総裁など。ライフワークのJ-PAO(日本プロ農業総合支援機構)理事長、JBAC(日本ブランド農業事業協同組合)顧問、やまと凛々アグリネット顧問などを務めている。76歳。

〈米麦日報 2019年10月25日付〉