「チョコレートはメ・イ・ジ♪」を歌い継いだ昭和の歌姫、1926年9月13日「明治ミルクチョコレート」発売【食品産業あの日あの時】

「明治ミルクチョコレート」1966年~2009年のパッケージ
「明治ミルクチョコレート」1966年~2009年のパッケージ

 「明治さんには過去たくさんコマーシャルにも出させていただいて、本当にお世話になりました。いろんなパターンでコマーシャルを撮らせていただいている中に、バレンタインデーの企画があって。その時は着物を着て、好きなボーイフレンドにチョコレートをどんな風にあげたら気に入ってもらえるのかな、というのを、こうやって(板チョコを両手で手渡すしぐさをして)鏡の前で練習するんですね。そのコマーシャルを撮っていた時の記憶が、昨日のように覚えています。」

歌手の中森明菜さんが、「明治ミルクチョコレート」発売開始99周年を記念した特別企画「Melody of meiji」に参加することが発表された。大人びた雰囲気と、他を圧倒する歌唱力で一時代を築いた中森さん。同時代のアイドルと比べると企業とのタイアップは少なかったが、ひときわ印象的だったのが1986年から出演した「明治ミルクチョコレート」(明治製菓、現・明治HD)のCMだった。

中森さんが明治の動画に出演するのは実に37年ぶりのこと。特設サイトでは中森さんを皮切りに、今後12カ月間連続で様々なアーティストが「明治チョコレートのテーマ」を歌い継ぐ企画が展開される予定だという。

「明治ミルクチョコレート」の誕生は1926年(大正15年)9月13日。森永製菓「森永ミルクチョコレート」(1918年)、不二家「ハートチョコレート」(1935年)などとともに、まだチョコレートが物珍しかった戦前から国内市場をけん引してきた商品だ。

「明治ミルクチョコレート」歴代パッケージ
「明治ミルクチョコレート」歴代パッケージ

戦後、カカオ豆・ココアバターの輸入が自由化されると国内商戦も活発化。他社製品との差別化を図るため、明治製菓も広告宣伝に工夫を凝らした。作曲家いずみたくが手掛けたCMソング「明治チョコレートのテーマ」(1966年)はその象徴とも言える。

「マーブルチョコレート」「チェルシー」「カール」「きのこの山/たけのこの里」など、耳に残りやすいオリジナルのCMソングにこだわるのが明治製菓流で、佐良直美の大ヒット曲「世界は二人のために」(1967年)も、もともとは同社の「アルファチョコレート」のCMソングとして作られたものだ。こうしたCM戦略が功を奏し、明治製菓は1960年代には国内チョコレート市場シェアトップの地位を確立している。

競合の不二家は英国のロントリー・マッキントッシュ社と提携した「キットカット」を投入(1973年)。ロッテは郷ひろみさん、草刈正雄さん、江崎グリコは山口百恵さん、三浦友和さんをはじめとした旬のアイドルのCMで話題を集めたが、石坂浩二さん、ザ・タイガース、野口五郎さんといったスターによって歌い継がれてきたジングルを「チョコレートはメ・イ・ジ♪」のジングルがもたらしたブランドイメージは揺るがなかった。

だが1985年、プラザ合意による急激な円高が日本の食品産業を襲う。それまで1ドル=235円前後で推移していた為替レートは一年後には150円台にまで変動。貿易不均衡の解消を迫る米国からの外圧に対し、時の中曽根康弘首相は国民一人当たり100ドルの外国製品の購入を呼び掛けた。

円高は、原材料の多くを輸入に頼る国内メーカーにとってはコストが下がるというメリットがある一方で、海外の高級製品との競争を強いられることも意味していた。翌1986年にGATT(関税と貿易に関する一般協定)ウルグアイ・ラウンドが開幕すると、日本は米国との個別交渉でチョコレート製品の関税のさらなる引き下げを決定。

この流れを見越し、米国マース ジャパンは主力商品「スニッカーズ」「M&M’s」の日本への投入(1987年)を計画していた。国内メーカーが安価な海外製品に対抗するためには、“チョコレート=子供向けのお菓子”というイメージからの脱却と、高級・高付加価値製品の開発が至上命題だった。

明治製菓の対応は迅速だった。まず1986年にはベネズエラ産の稀少なカカオ豆を使用した「コラソン・カカオ」を発売。現在の「明治ザ・カカオ」に通じるスペシャリティチョコレートの端緒だ。次いで打ち出したのが当代きっての歌姫、中森さんによる「明治ミルクチョコレート」のCMキャンペーンだった。同社は同年12月からのコンサートツアー「Meiji PRESENTS AKINA LIVE」に3年連続で協賛(~1989年3月まで)。チョコレートの購入者にチケットやテレホンカードが当たるキャンペーンを展開し好評を博した。

99周年特別企画「Melody of meiji」に登場する中森明菜さん
99周年特別企画「Melody of meiji」に登場する中森明菜さん

冒頭で紹介した中森さんのコメント中で語られているのは1988年のバレンタインデーキャンペーンCMだ。「おいしいものにはテレパシーがある」のキャッチコピーも印象的だった。この間、中森さんは「DESIRE」で女性歌手として初めて日本レコード大賞2年連続受賞という快挙を達成。アイドルの枠にとらわれず、楽曲や衣装をすべてセルフプロデュースする唯一無二のアーティストへと進化していった。

1989年(平成元年)、中森さんは活動休止とともにCMも降板。代わってジングルを歌ったのはWinkの二人だった。以来中森さんはしばらく表舞台から遠ざかってきたが、近年ではサブスクや動画配信の普及により、若い世代や海外からの支持が高まりつつある。

一方の国内チョコレート市場は“カカオショック”の影響で転機を迎えている。全日本菓子協会の「令和6年 菓子生産数量・生産金額及び小売金額(推定)」によれば、“カカオショック”の影響もあり生産数量は3.6%減の23万1477トンにとどまったという。

来年は「明治ミルクチョコレート」発売から100年の節目となる。昭和の歌姫の復活が、国内のチョコレート市場の再活性化につながることを願いたい。


99周年特別企画「Melody of meiji」に登場する中森明菜さん
99周年特別企画「Melody of meiji」に登場する中森明菜さん

【岸田林(きしだ・りん)】

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食品産業新聞

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昭和26年(1951年)3月1日
発行:
昭和26年(1951年)3月1日
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