「黒霧島」 メガブランド焼酎のこだわり製法と人気の秘密とは

芋焼酎「黒霧島」(霧島酒造)
“トロッとキリッと”のキャッチフレーズでお馴染みの「黒霧島」は、平成10年に宮崎限定で発売し、翌年に全国展開をスタート。現在では芋焼酎を代表する知名度および販売数量を誇るメガブランドへと成長した。これだけ強く支持される理由は何か。自社製造のこだわり、その人気の秘密、そして、生産能力の向上や新製品に関連するテスト仕込みなど、自由度の高い生産計画を目指し、2018年8月に稼働を予定している霧島酒造・志比田第二増設工場について、江夏順行社長に話を聞いた。

〈ビールの“ドライ戦争”を受け新需要開拓へ〉
「黒霧島」の開発当時、白いラベルの「霧島」は伸びてはいたが、それ以上の大きな伸びが見込めなかった。ビール業界では、アサヒビールが「スーパードライ」を発売し、ほかの3社もドライ製品を投入してドライ戦争となった。それを受け、土俵を変えた方がいいと思ったため、当時主流だった白麹ではなく、黒麹を使用することで、新しい需要を呼び起こそうとした。黒酢や黒豚、黒毛和牛など他業界でも黒ブームが起こったが、焼酎業界でも“黒”市場のカテゴリーを創出し、その中で一番になったのでここまで来ることができた。

当社の芋焼酎は全て自社工場でのみ造っている。口に入るものなので、米や芋などの原料は安心安全をうたえるものでなければならない。自社製造であれば、南九州の甘藷、国産米の使用というのがはっきりしている。米も4分の1は宮崎県米で、地域産業そのものだ。宮崎県の外貨獲得率で焼酎はトップクラスだ。酒税の50%が地方交付税として再配分されており、地域への貢献もできている。

霧島酒造の芋焼酎は全て自社工場で製造

霧島酒造の芋焼酎は全て自社工場で製造

〈「おらが村の名産品」として支持、芋ならではの「あまみ」「うまみ」「まるみ」も評価〉
「黒霧島」の人気の背景として、もともと飲みやすく、それほどイモ臭くない酒質だったことが挙げられる。また、市場の期待に応えられるだけの生産能力と、同時に最終工程で生じる焼酎粕を処理できる粕処理プラントを有していたので需要を逃さなかった。冷凍甘藷による通年稼働で量産が可能となったことも大きい。また、地域の人々の慰労を兼ねた「踊り子隊」に始まり、業務店訪問など販促部の活動といった独自の営業力により、「おらが村の名産品」として、地元・圏域の多くの方々の支持を受けていた。これらの条件が揃っていたことと、芋焼酎の全国的なブームの流れが相乗効果として作り出したものと考える。

もちろん、「黒霧島」の“トロッとキリッと”というキャッチコピーのとおり、芋ならではの「あまみ」「うまみ」「まるみ」の味わいがお客様に支持された結果と言える。

〈100年の重みを大事に、1人ひとりが“歴史文化を語れる社員”として活動〉
今年7月の竣工、8月の稼働を目指し、志比田第二増設工場建設を進めている。現在は全ての工場をフル稼働させており、製造現場では土日なくシフトを組んで出勤している状況である。フル稼働の状態のため、メンテナンスの期間や、工場で働いている社員などの休日の確保も必要となっている。増設により生産能力が向上し、稼働の余力にもつながる。新製品に関連するテスト仕込みや既存商品の余裕のある仕込みなど、自由度の高い生産計画が可能になると期待している。

「黒霧島」は、霧島圏域で育まれた本格焼酎であり、この地の風土が醸し出した味わいだ。割水には、霧島連山や鰐塚山系に降った雨がシラス台地で浄化された数十年の歳月を経て湧き出る霧島裂罅水を使っている。同じ麹・酵母を使っても蔵ごとに味わいは違ってくる。霧島酒造の焼酎は、この霧島圏域だからこそ造れるものだと思っている。

今後も100年の歴史の重みを大事にし、地域ブランドとしての位置付けで、社員1人ひとりが当地に誇りを持ち、歴史文化を語れる社員として事業を展開していく。

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