日本人のための日本のワイン「赤玉」110年の歴史 時代に寄りそう“変化対応”

日本の洋酒文化の歴史を創ったサントリー創業者 鳥井信治郎氏
〈サントリーの酒づくりの原点〉
「赤玉スイートワイン」は昨年、発売から110周年を迎えた。「赤玉」は、その後ウイスキーやワインへと展開するサントリーの洋酒事業の原点であり、赤玉の歴史は、サントリーの挑戦の歴史でもある。たとえば、日本人にあった味覚の追求。画期的な広告展開。市場の創出と洋酒文化の普及…今に連なるサントリーの企業風土の原点はすべて、「赤玉」の歴史に重なる。そもそも「サントリー」という社名自体が、「赤玉」のモチーフでもある太陽(サン)に由来する。110年にわたり愛されてきた「赤玉」の歴史と未来について、サントリーワインインターナショナルの国産ブランド部課長渡邊靖宏氏、同部東慶太氏に話を聞いた。
ハイカラの象徴となった発売当時の「赤玉ポートワイン」

ハイカラの象徴となった発売当時の「赤玉ポートワイン」

創業者鳥井信治郎氏が大阪市に「鳥井商店」を開業したのが1899年のこと。当時20歳だった鳥井氏は、「日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の洋酒文化を切り拓きたい」との思いを胸に、ぶどう酒の製造販売を手掛けるようになる。当時の日本人にとって、ヨーロッパから輸入したぶどう酒は酸味が強すぎた。砂糖や香料を調合したぶどう酒が「薬用酒」として、健康のために飲まれていた時代だ。

鳥井氏は、親しくなったスペイン人貿易商の家でポートワインに出会い、スペイン産ワインをベースに日本人の舌に合うぶどう酒を完成させる。ここで役立ったのは、鳥井氏が丁稚奉公時代に身につけたブレンド技術だ。1906年に誕生した「向獅子印甘味葡萄酒」は鳥井商店の主力製品となる。

さらなる改良を重ね、1907年には日本人好みの美しい色と甘みを併せ持つ「赤玉ポートワイン」が完成。薬用酒でも葡萄酒でもなく、あえて「ワイン」と命名したところに、本格的な「洋酒文化」を日本に根付かせたいという鳥井氏の強い意志が見て取れる。実際、「赤玉」発売前年に「鳥井商店」は、「寿屋洋酒店」に改名していた。

「赤玉」は太陽がモチーフであると同時に、日の丸のイメージとも重なる。「赤玉」のネーミングとボトルデザインには、「日本にしかない、日本人のための日本のワイン」への強い思いが込められている。

日本人の味覚にあわせた甘さと酸の絶妙なバランスに加え、鳥井氏がこだわったのは色だった。茶色か褐色の葡萄酒しかなかった時代に、「濃紫紅色」(こむらさきべにいろ)をした「ワイン」が登場したのである。100年を超える歴史の中で味わいは進化したが、この「濃紫紅色」だけは変わることなく受け継がれてきた。

「赤玉」の成功を受け、鳥井氏は1923年、京都・山崎の地に蒸溜所の建設に着手する。ジャパニーズウイスキー時代の幕開けだ。今では国際的にも高く評価されているジャパニーズウイスキーのベースもまた、「日本にしかない、日本人のための日本のウイスキー」という思いだった。「サントリーは断じて、スコッチのイミテーションではない。サントリーという独特のウイスキーなのである」(2代目社長 佐治敬三氏)。

日本人にあった味覚や見た目の追求、それを可能にするブレンド技術と強いこだわり、そして海外の酒の模倣に終わらせるのではなく、日本独自の個性を持ったオリジナリティある商品の開発。「赤玉」の精神は今もなお、サントリーに息づいている。

国内初のヌードポスター。赤ワインの色にもこだわりが

国内初のヌードポスター。赤ワインの色にもこだわりが

〈画期的な広告展開〉
発売時にはまだ、「健康と長寿」など、薬用酒的な訴求が中心だった「赤玉ポートワイン」の名を一躍世に知らしめたのが、1922年に発表された日本初のヌードポスターだ。このポスターを手掛けた片岡敏郎氏は1919年の入社。その卓越したコピーで他を圧倒していた。

「赤玉」と同じく「ハイカラ」で「異国を感じさせる」という共通項を持つオペラ団に「赤玉」の名を冠し、全国を回ったのもこの頃だ。ヌードポスターのモデルは、この「赤玉楽劇座」のマドンナ松島栄美子さんである。

斬新な新聞広告は片岡敏郎氏によるもの

斬新な新聞広告は片岡敏郎氏によるもの

さらに、販売店への景品や琺瑯看板など斬新な広告展開が功を奏し、「赤玉」は大正後期、国内ワイン市場の60%を占めるまでに成長。寿屋がのちにウイスキー事業へ挑戦する土台をつくる看板商品となる。

洋酒業界に限らず、「赤玉」発売当時の日本で、これほどまでに広告戦略の意義と効果を見抜いていた会社はほかにない。鳥井氏は、品質にこだわるだけにとどまらず、商品の存在そのものを大衆にまず知らしめることに力を注いだ。そのチャレンジ精神は脈々と受け継がれ、戦後は開高健氏や山口瞳氏らを中心とした宣伝部が次々にヒットCMを打ち出した。

「男には飲ませるな!」のコピーも鮮烈だった「赤玉パンチ」

「男には飲ませるな!」のコピーも鮮烈だった「赤玉パンチ」

「赤玉」発売70周年となる1977年には、デキャンタボトルに入った「赤玉パンチ」を発売。タレントの鳳蘭さんを起用した「男には飲ませるな!」のテレビCMも話題を呼んだ。安全地帯が歌う「赤玉パンチ」のCMソング「ワインレッドの心」も大ヒットを記録。今も昔も、世間をあっと言わせる鮮烈なキャッチコピーや独創的な広告を展開するサントリー宣伝部の原点もやはり、「赤玉」にあったのだ。

当初は医学博士の推薦を謳い、「薬用酒」として訴求した

当初は医学博士の推薦を謳い、「薬用酒」として訴求した

〈サントリーワインの原点〉
発売当初は「薬用酒」という位置づけだったぶどう酒を「ワイン」に変えた「赤玉」はロングヒットを続け、東京オリンピックが開催された1964年には168万ケースと過去最高の販売数量を記録する。昨年のチリワインのトップブランドでも148万ケースだから、当時のワイン市場では圧倒的な存在感だ。

時代と共にラインナップも拡大し、1954年には白ワインの甘味果実酒「赤玉ホワイトワイン」を投入。1966年には、ヨーロッパのお酒「ミード」から着想した「赤玉ハニーワイン」を発売。77年にはサングリアのように果汁を入れた「赤玉パンチ」が発売になる。これらのターゲットは20代の女性であった。お酒と言えば、ウイスキーやビール、日本酒が主流でRTDが誕生する前の時代に、女性が好む果実感ある味わいをいち早く投入し、フルーツを漬け込む飲み方提案や、飲用シーン創出などで市場を拡大していく。

1972年には「金曜日はワインを買う日」という広告で、ワインブームを先導したのもサントリーだった。1975年には甘味果実酒と果実酒の販売量が逆転。食卓の欧米化が進み、本格ワインの時代が幕を開ける。サントリーは、東京オリンピック開催の1964年、ヨーロッパ系品種を使った本格ワイン「シャトーリオン」を発売しているが、この礎になったのも実はまた、「赤玉」である。

第二次大戦開戦前には外貨節約の風潮が高まり、「赤玉」の原料ワインの輸入が難しくなっていた。鳥井氏は原料ぶどうの国産化を図るため、新潟・岩の原葡萄園を訪ね、“日本のぶどうの父” 川上善兵衛翁の協力を得ることで、1936年に寿屋山梨農場をスタートさせる。戦後、同農場で栽培されたぶどうは「赤玉」の原料となったが、当時から鳥井氏と佐治敬三氏は本格的なワインの時代を見越してヨーロッパ系の醸造専用品種の栽培を視野に入れていた。1955年に栽培を開始したヨーロッパ系品種が、1964年に「シャトーリオン」としてデビューしたのだ。日本ワインを代表する同社の「登美の丘ワイナリー」シリーズは、その後継ブランドである。その源流をたどれば、やはりそこには「赤玉」があった。

大阪港開港150年記念ラベル

大阪港開港150年記念ラベル

〈時代に寄りそう「変化対応力」〉
バブル崩壊後の急速な円高で、輸入ワイン市場が拡大。日本の食文化も酒類市場も大きく変化した。「赤玉」は、常にサントリーのシンボルブランドであり、販売量も安定しているが、ブランドの活性化には新規ユーザーの取り込みが必須だ。

サントリーは昨年、「ブランドを継承するとともに、時代にあった新しさを取り入れながら、業務用から再度“赤玉”ブランドを広げたい」と、若年層に向けて新たに「赤玉」を使った「ワインサワー」=「赤玉パンチ」の展開を開始。「赤玉」の持つノスタルジックな響き、レトロ感あるロゴが「赤玉」を現役で知らない世代には逆に新鮮で、インスタグラムやツイッターなどのSNSでも話題を呼んでいる。

メインターゲットは20~ 30代前半の男女だ。「赤玉」はもともとベースが甘いので、女性だけでなく、「甘舌化」している若年層を取り込みやすい。

昨年2月には、業務用に「赤玉パンチコンクタイプ」を投入した。「赤玉パンチ」だけでなく、京都で昔から人気の飲み方「バクダン」も、コンクタイプの発売で人気が再燃している。

「“ワインサワー” はわかりやすさが魅力。まずは飲んでもらうこと、飲んでもらう人を増やすこと。現場発信、SNSなどで視覚的に訴求して、ゆくゆくは家庭用へと広げたい」(東氏)。

「赤玉」は、「時代や嗜好に、柔軟に変化対応できるブランドだ」と渡邊氏は言う。日本の洋酒史の第一歩を切り開き、さまざまなカテゴリーとリンクしながら、独特の立ち位置で愛され続けてきた。その根底にあるのは「日本人にあった味覚の追求」であり、常に新しい市場に挑戦する開拓者精神である。

挑戦を繰り返しながら新しい市場を築く。これこそ「赤玉」が築き、今もこれからも継承され続けるだろうサントリーのスピリッツである。

※「赤玉」は1907年、「赤玉ポートワイン」として発売され、1973年に「赤玉スイートワイン」に改名されたが、文中では「赤玉」で統一した。

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